ルツとナオミ
旧約聖書で特にお気に入りの箇所はと言えば、色々あるにせよ、まずルツ記を挙げる。直前の士師記が大変なカオスぶりで混乱と流血に満ちていたこともあり、ルツ記にたどり着いた時には、オアシスに来たような心地がしたものだ。
わずか4章の短編であるにも関わらず、そのインパクトは強烈で、聖書にこうも感動的な内容があったのかと、えらく興奮したものである。
ルツ記の重要人物と言えば、やはりタイトルにもあるルツと、その義母(要は姑)にあたるナオミであろう。第一章における二人の会話で、もうこの時点から、何かが違うと思わせてくれる。
ルツ記 1:16-17 新共同訳
[16] ルツは言った。「あなたを見捨て、あなたに背を向けて帰れなどと、そんなひどいことを強いないでください。わたしは、あなたの行かれる所に行きお泊まりになる所に泊まります。あなたの民はわたしの民 あなたの神はわたしの神。
[17] あなたの亡くなる所でわたしも死に そこに葬られたいのです。死んでお別れするのならともかく、そのほかのことであなたを離れるようなことをしたなら、主よ、どうかわたしを幾重にも罰してください。」
ボアズの言葉
さて、ルツ記を何度か読んでいると、ルツやナオミ以外の重要人物にも目が行くようになった。それは、ルツとの再婚相手になるボアズである。
ルツ記 2:4 新共同訳
[4] ボアズがベツレヘムからやって来て、農夫たちに、「主があなたたちと共におられますように」と言うと、彼らも、「主があなたを祝福してくださいますように」と言った。
ボアズは畑の所有者であり、それなりの富と地位があったと推測される。そうした格差に関係なく、農夫に神からの祝福を願い、農夫たちもまた、ボアズに同じことを祈りあっている。
何気ない当たり前のようなシーンだが、神の前には、社会的に下とされる人々にも祝福を祈ることができる、そんなボアズの人となりをうかがうことができる。
極めつけは、「落穂拾い」に来たルツにかけた言葉である。
ルツ記 2:10-12 新共同訳
[10] ルツは、顔を地につけ、ひれ伏して言った。「よそ者のわたしにこれほど目をかけてくださるとは。厚意を示してくださるのは、なぜですか。」
[11] ボアズは答えた。「主人が亡くなった後も、しゅうとめに尽くしたこと、両親と生まれ故郷を捨てて、全く見も知らぬ国に来たことなど、何もかも伝え聞いていました。
[12] どうか、主があなたの行いに豊かに報いてくださるように。イスラエルの神、主がその御翼のもとに逃れて来たあなたに十分に報いてくださるように。」
ルツを異国から来たものなどと見下げることなく、むしろ、その苦労をいたわろうとした。
参考までに、1857年のミレーによる有名な絵画「落穂拾い」は当初、「貧困の誇張、上流階級に対する抵抗行為」などと捉えられ、激しい非難を受けたらしい(他にもさまざまな政治的視点があったと思われるが)。
対して、数千年前のボアズの言動は、どうだろうか。ボアズの見せた、苦しい者に対して寄り添う姿勢、慈しみこそが、神の御心ではないか。
レビ記 19:9-10 新共同訳
[9] 穀物を収穫するときは、畑の隅まで刈り尽くしてはならない。収穫後の落ち穂を拾い集めてはならない。
[10] ぶどうも、摘み尽くしてはならない。ぶどう畑の落ちた実を拾い集めてはならない。これらは貧しい者や寄留者のために残しておかねばならない。わたしはあなたたちの神、主である。
神様が指示したこの命令は、まさにルツが落穂拾いに来た状況と一致していないだろうか。ルツはモアブから来たのであり、ある意味、確かによそから来た者であった。
ボアズは、ただ神からの指示を「儀式的」に行なっていたのではない。指示の背景には「思いやり」の意図が見え隠れする。ボアズがルツに語った言葉からは、神の言葉を儀式的にではなく、「心」から実践していたことがうかがえる。
パウロの言葉
以上の点からは、新訳聖書の下記が思い出される。
エフェソの信徒への手紙 6:5-9 新共同訳
[5] 奴隷たち、キリストに従うように、恐れおののき、真心を込めて、肉による主人に従いなさい。
[6] 人にへつらおうとして、うわべだけで仕えるのではなく、キリストの奴隷として、心から神の御心を行い、
[7] 人にではなく主に仕えるように、喜んで仕えなさい。
[8] あなたがたも知っているとおり、奴隷であっても自由な身分の者であっても、善いことを行えば、だれでも主から報いを受けるのです。
[9] 主人たち、同じように奴隷を扱いなさい。彼らを脅すのはやめなさい。あなたがたも知っているとおり、彼らにもあなたがたにも同じ主人が天におられ、人を分け隔てなさらないのです。
パウロがこれを書いた時、ルツ記のことが頭にあったかは分からない。しかし、心持ちとしては、同じだろう。
「うわべではなく、心から」
「人にではなく、主イエスに仕えるように」
「身分や地位を問わず、別け隔てなく」
ボアズやパウロの真摯な言葉を心に受け入れ、心から神の御心を行えるように目指したい。
ルツ記終盤の女たち
なお、ルツ記の終盤に名もない女達がナオミにかけた言葉も、注目に値する。
ルツ記 4:14-16 新共同訳
[14] 女たちはナオミに言った。「主をたたえよ。主はあなたを見捨てることなく、家を絶やさぬ責任のある人を今日お与えくださいました。どうか、イスラエルでその子の名があげられますように。
[15] その子はあなたの魂を生き返らせる者となり、老後の支えとなるでしょう。あなたを愛する嫁、七人の息子にもまさるあの嫁がその子を産んだのですから。」
[16] ナオミはその乳飲み子をふところに抱き上げ、養い育てた。
苦境に苦労を重ね、自暴自棄にもなり、そして思わぬ幸せが舞い込んだナオミに対し、この名も知れない女たちが語った言葉は、どうか。他者の幸福を妬むことなく喜び、励まし、神を讃えるのが、いかに尊いことか。その言葉に続いて16節でナオミが新たに産まれた子をふところに抱き上げるシーンは、恵みという他ない。
すべて、神の恵みである。女たちの言葉も、パウロの言葉も、ボアズの言葉も、ルツの言葉も、全て、神への祈りと賛美を含んでいる。

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