クリスマス目前になると、やはり気持ちがスッキリする。新年間近ということもあるだろう。一年を通した感謝の気持ちと、次の年への希望の芽生えでもある。
クリスチャンとしての信仰を持つまで、クリスマスと言えば、サンタクロースからプレゼントをもらえるキラキラとした素敵な日、という程度の認識であった。
クリスチャンになってからも、クリスマスが素敵な日であることに変わりはない。しかし、イエスキリストの生誕を祝う日(この日が生誕日というわけではないが)、という具象性を持つようになった。
イエスキリストは、神様からの至高のプレゼントであり、きらびやかなライトアップもまた、光であるイエスキリストのシンボルと見立てる。
イエスキリストを讃えるのはクリスマスに限らず、毎日のことなのであるが、文化的に、やはり、ウキウキとした気持ちになるものだ。
ヨハネによる福音書 8:12 新共同訳
[12] イエスは再び言われた。「わたしは世の光である。わたしに従う者は暗闇の中を歩かず、命の光を持つ。」
世を真に照らす光とは、イエスキリストのことだった。
ローマの信徒への手紙 6:23 新共同訳
[23] 罪が支払う報酬は死です。しかし、神の賜物は、わたしたちの主キリスト・イエスによる永遠の命なのです。
神様からの贈り物とは、イエスキリストによる永遠の命であり、それは愛に満ちたもの。
クリスチャンであろうとなかろうと、全ての人が罪深い存在であり、本来、この贈り物に値するものなどいない。それにもかかわらず、御子イエスキリストに罪をおわせ、私たちすべてに救いの贈り物を差し伸べてくださっている。
クリスマスと言えばとかくきらびやかなイメージがある一方、そもそも人の罪深き性質ゆえに、イエスキリストが来られなければならなかった、そして十字架で犠牲になられた、ということを心に留めておきたい。

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